船橋市立船橋高等学校同窓会のホームページです

 

仲 間

同窓会総会は新型コロナウイルスの影響により中止のおしらせ

令和2年度6月7日(日)同窓会総会は 新型コロナウイルスの影響により中止と致しました。

6期生が合同同窓会を開催

11月16日(土)地元の東魁楼本店で3年ぶりに合同同窓会を開催いたしました。C組の内野君が司会を行い、金子会長(Ⅾ組)の挨拶、田中君(B組)の乾杯により宴が始まりました。

各テーブルで和気あいあいと話が弾み、中盤の各人の近況報告発表では、参加者56人より73年間の人生模様の一端が発表され、更に盛り上がりました。 ジャンケンゲームではB組の水橋君が優勝し、B組の二次会は水橋君が負担したとか?楽しい時間でした。

母校で活躍する仲間たち

昭和46年卒業3年E組クラス会

場所は、当時卒業した教室、昭和46年3月に卒業したおじさんおばさん!あれっおじいちゃんおばあちゃんかな?同級生の一人は、遠く宮城から来ていただきました。

卒業時の担任、椎名信夫先生をお招きし、3年E組の教室を使い授業を行いました。

授業の内容は、北原亞以子の作品を読む「たかが六里」 舞台は、江戸の船橋!船橋で一息入れて自分を見つめ直す・・・そんな女の気持ちを、私たちに知らせてくれた事で、自分たちの事も見つめ直す事が出来ました。

昔の船橋の様子がわかる写真を掲げながら、当時の船橋も語っていただきました。

授業終了後は、当時まだなかった東船橋駅に移動、駅前のレストランで先生を囲み懇親会を開いたのであります。

同窓会事務局広報委員長
佐藤辰之

第6期生(昭和40年3月卒業)B組 弁護士 田中三男

  1. 生立ち   船橋市夏見で7人兄弟の末っ子として生まれ、隣家のお金持ちの子が食べているチョコ・リンゴやテレビを羨んでいた。   小・中学生の頃に勉強をしていた記憶はほとんど無いが、小学校6年生の時は図書館から毎日偉人伝を借りて読んでいた。
  2. 高校時代   数学・物理・化学は嫌いであまり出来なかった(今でも電子レンジがなぜ温まるのか理解していない)。国語・地理・社会・歴史を教えてくれた長尾先生は授業前に格言「小人閑居して不善をなす」「暇な奴は溜水のように腐る」など、人生訓を話してくれた。姉から通信簿で4を3つとたら自転車を買ってやると言われたが無理だった。また、卓球部のマラソンとウサギ跳びが嫌で仕方がなかった。
  3. 司法試験   24歳の時、判事・検事・弁護士になれる司法試験を受ける決意をした。合格するまでの6年間は、死に物狂いで勉強した。特に3年間大型自動車の運転、3年間アパートで。最後の3年間は日曜日以外毎日8時間勉強をした。テレビも見ず冠婚葬祭も全て欠席した。今でも試験に落ちる夢をみることがある、合格するとは夢にも思わなかった。   2年間の研修後、死刑判決を下す事や暴力団の取調べは無理だと判断し、判事、検事ではなく弁護士登録をした。
  4. 弁護士の仕事   以前は、サラ金の強硬な借金取立による蒸発、行方不明、一家心中、強盗と酷い社会で、借金苦からの救済のため何千件もの事件に追われました。   今は、遺産分割、離婚、交通事故などのトラブルを解決する仕事を船橋市湊町1-1-15の法律事務所(433-1998)で6人の弁護士と仕事をしています。市船の関係者は無料相談にものりますので気軽にご連絡ください。
  5. 憲法9条 現在の日本は救急車はきてくれますし、水道の水は飲めますし、収入がなく生活が苦しければ生活保護も受けられます。しかし、憲法9条の平和主義が改正されようとしているのが心配です。どんな理由があろうと戦争はしてはなりません。戦争のできない国からできる国を目指すのは弁護士会として反対しています。
  6. 最後に   私は資格を取ろうと考えたのは良かったと思っています。専門家になる。その為に努力する。そんな人生だったと思います。

第22期生(昭和56年3月卒業)A組 高橋克文(たかはしかつぶみ)さん

ライオンズクラブ国際協会333C地区(千葉県)ガバナー

ライオンズクラブは200国以上にあり、クラブ数48,000、会員数143万という世界最大の奉仕団体です。日本にも3,000を超えるクラブと12万人の会員がいます。  東日本大震災のときも、各地で募金活動を行うなどそのネットワークを生かし迅速な支援活動を行いました。普段は全国で地域に密着した奉仕活動や青少年健全育成など地道な活動を続けており、献血をお願いするメンバーを街でご覧になった方も多いのではないでしょうか。  昨年の7月、ライオンズクラブ発祥の地・米国シカゴでの国際大会で高橋克文さんはその千葉県のガバナーに就任しました。千葉県にも132クラブ、3,400名のメンバーがいますが、そのトップとして全県をまわりライオンズ活動を統括しています。

「ライオンズクラブが誕生して100年、この間さまざまな奉仕活動を世界各地で行ってきています。充実した奉仕の源は、苦労と満足を分かち合う仲間がここにいるという実感だと思います。共感する仲間を増やすことが大切です。ライオンズクラブの活動を積極的に地域に発信し、その積み重ねで地域の関心と反響が広がり、それが私たちの仲間に加わってくれる方を増やしていく。これが繰り返されることにより、地域、そして世界が変わってくるんだと思っています。」

 高橋さんは現在、社会福祉法人 伸和会の理事長でいらっしゃいますが、若いころより船橋青年会議所で活躍、1996年には理事長もつとめました。そんな経験も今に生きているのでしょう。6月までの残された任期を持ち前の明るさと積極性で務めあげてくれることを期待します。

第27期生 櫻内 剛 教諭

市船27期生、体育科1期生として、現在の生徒そして先生方の活躍を誇りに思います。少しでも母校のために役立てるよう精進します。

第28期生 近藤 義行 教諭

30年前の市船魂を現役生に注入します。心を籠めて。

第30期生 七條 三千代 職員

この4月に職員として市船に戻ってまいりました。創立60周年、そして第3体育館完成という節目の年に、母校で働く機会を与えていただいたことに感謝しつつ、後輩の皆さんの高校生活がより充実したもの、思い出に残るものになるよう、微力ではありますが、事務室からサポートしていきたいと思っております。

第31期生 髙橋 孝典 教諭

母校で学年主任を務めることになり、身の引き締まる思いです。生徒の為に、力を尽くしていこうと思います。

第35期生 朝岡 隆蔵 教諭

高校時代に市船に育てて頂き、また今も、市船に育てて頂いています。

第41期生 海上 雄大 教諭

商業科卒業の41期生です。現在は商業科の教諭として主にビジネス分野の科目を担当しており、部活動は野球部の部長として携わらせていたただいております。微力ですが、OBとして学校に貢献したいと思っております。

第42期生 波多 秀吾 教諭

OBとして、“刻苦研学”の精神を後輩達に伝えたいです。

第43期生 木村 直純 教諭

母校での勤務に感謝をし、日々を過ごしています。

第44期生 宍倉 智美 教諭

卒業生として母校で働けていることに感謝しています。生徒達とともに日々、私自身も成長できるよう頑張ります!

第44期生 押尾 友裕 教諭

平成14年度卒業、第44期生の押尾と申します。今年度市船4年目で、社会科担当、野球部の顧問を務めさせていただいております。卒業生の皆様に残して頂いた伝統を守りつつ、新しい市船づくりに貢献できればと思っています。
 お近くにお越しの際には、是非学校にお立ち寄り下さい。これからもよろしくお願いいたします。

第46期生 天野 友里恵 教諭

いつも応援ありがとうございます。チームいちふなの一員として、これからも頑張ります。

第52期生 芳賀 大輔 特別非常勤講師

今年度から勤務させて頂いている市立船橋52期生、体育科卒業の芳賀と申します。OBとしてより一層気を引き締めて、学校に貢献していきたいと思っています。

第53期生 岩佐 有里奈 特別非常勤講師

母校で働かせて頂く事に感謝し、少しでも貢献できるように頑張りたいと思います。

第53期生 宮尾 友麻

母校に戻ってくることができて、光栄に思います。市立船橋の発展に少しでも貢献できるよう、精一杯努めていきたいです。よろしくお願いします。

第53期生 吉野 綾

今年度で本校勤務2年目となりました。科目は音楽で、部活動は吹奏楽部の顧問をしております。
今年度も元気よく、生徒と共に成長し、学んでいきたいと思います。
校で活躍する仲間たちイメージ

第13期生(昭和47年3月卒業)A組 小林章良

こんにちは、小林です。
職業は、建設資材販売の山一興産(株)に、20歳から現在までお世話になっています。
縁ありまして、今、母校の体育館の建設中ですが、そこに生コンクリートを納めさせていただいてます。
豊富中学の在学中に市船のグラウンドで夏に市長杯争奪大会が、開催され、よく市船には行ってました。
昭和42年の甲子園大会で習志野高校が、全国優勝した時に一番苦しい試合は千葉県大会の1対0で、勝った試合ですと、新聞で読み、三木先輩、成嶋先輩、鎌田先輩、山田先輩方々9期生の活躍に憧れ、長谷川君と市立船橋に入学し野球部に入りました。練習中はよく鈴木先輩(2期生)が来られて精神的指導をされていましたが、現在でも良きアドバイスをいただいてます。
現役中は甲子園はいけませんでしたが、後輩が何度か甲子園に出場し応援にいきました。
後に橋口朝光君(29期)、工藤晃弘君(31期)、河内大輔君(43期)とマスターズ甲子園で甲子園の土を踏んできました。これはまた別の話です。

現在は市立船橋野球部OB会に所属しております。
平成17年の6月のOB会総会にて永年OB会長をされていた高野圭司会長(6期)が七十歳になられたので会長を勇退されることになり、私が今年よりOB会長に就任いたしました。
さてOB会は、現在982名になります。主な活動は、母校への応援活動ですが、千葉県で同じくOB会活動をしている27校と千葉県立高等学校野球OB連合会に参加しています。
主な活動は、5月に学校対抗ゴルフ大会、7月から11月までトーナメント野球大会(硬式)で、今年でゴルフは36回大会、野球は39回大会です。参加校は天羽、安房、一宮商業、印旛明誠、木更津、木更津総合、君津商業、君津、佐倉、佐原、県千葉、千葉敬愛、千葉経済、千葉工業、千葉商業、千葉東、市立千葉、千葉商大、銚子商業、市立銚子、長生、東金商業、習志野、成田、成東、県船橋、市立船橋、茂原樟陽(休会中)の28校です。野球大会は、準優勝は3回していますが、あと一歩で優勝をのがしています。年齢別で9人中31歳以上と30歳以下で構成、30歳以下は5名以内、投手は31歳以上3イニングまでしか投げられません。
昨年、千葉経済と対戦中、相手のキャッチャーの親が市船の野球部OBという情報があり相手ベンチに確認したところ、鈴木利一さん(12期卒)のご子息でした。翌日鈴木先輩から電話をいただき感激いたしました。今年もすでに1、2回戦は終了しています。1回戦は、7月30日、対東金商業で20対6で勝利、写真は君津商業グラウンドでの集合写真です。2回戦は、8月13日、対君津商業で8対4で勝利、今後の試合日程は10月8日、千葉県野球場で、対木更津高校、11時20分開始です。準決勝、決勝は11月3日、千葉県野球場です。
一昨年の大会に同期の青山利彦君が応援に来てくれました。
青山君の娘さん二人とも市船OBで母校の応援に毎回球場に、来てくれます。
一度公営球場のグラウンドに立ちたいと言うので、ユニフォームを着て1塁のコーチャーボックスに入ってもらいました。卓球部なんですけど・・・みなさんも暇がありましたら球場へ観戦にいらしてください。またOB会野球監督、橋口朝光君の同期で、29期生の森戸哲也君が千葉市稲毛区宮野木で「すし政」というすし屋さんをやっています。
娘さん二人とも市船OBです。野球観戦後にどうぞよろしく。
そんなことで今でも野球にしがみついています。

小林章良野球部画像

12期生 書道部出身 佐藤辰之

字を楽しんで書く事で喜んでもらえるのが何よりも嬉しい

12期生E組佐藤辰之書道部出身イメージ

12期生E組佐藤辰之書道部出身イメージ2

筆文字アーティスト驪龍 名前を書いてもらうと幸せになるコースター

中学三年間、軟式テニス部に在籍していた事もあり、迷わず高校入学時軟式テニス部の門を潜りました。しかし挫折し一週間で退部。
その後、元々字を書く事に抵抗がなかった事もあり、書道部へ。
そこは、男子が多少いたとは言え女子の世界でした。一年生の時は直ぐ隣の書道室でお昼を食べるなど、その居心地の良さと先生の魅力にとりつかれ卒業まで在籍する事に。卒業後恩師(揚石徳司先生)の元に通うが、仕事が忙しくなり中断する。職場では頼まれるままに字を書く事で、レタリング文字と筆文字を合わせた形で、看板やポスターの文字を書くようになり、最近では筆ペンとコースターを持ち歩き、出会った方の名前を書く事が生活の一部になりました。現在、「筆文字アーティスト驪龍(りりょう)」としてイベント等活動の場を広げ、チャリティーでコースターに名前を書いています。目立った所では、「千人の音楽祭」の題字筆耕、新京成「拉麺駅伝」の丼文字、演奏会のポスターの題字など様々な所で作品を見る事が出来ます。
現在、仕事の合間に就労支援施設や介護施設での書道の講師が生きがいとなっており、書道を通して楽しみ喜んでもらえるのが何よりも嬉しく感じています。

昨年から、アルファー祭の同窓会コーナーでもコースターに名前を書いていますので、9月23日のアルファー祭には是非お越し下さい。

第29期生(昭和63年3月卒業) J組 岡田 とおる

J組岡田とおるイメージ

こんにちは、29期生の岡田とおる と申します。
市船に体育科が創設されて3学年がそろった昭和60年4月、体育科3期生として入学し、早いもので卒後29年が過ぎようとしています。
人間、年を重ねると丸くなると申しますが? 在学中、体操部員としてスリムな体型でシャープに演技していた私も今はだいぶ丸くなってしまいました…
在学時代のジャージは緑色でした、今でも緑ジャージを着た生徒の姿をみると親近感がわいてきます。
振り返ると本当に懐かしく、縁あって市船で学べた事に心から感謝している昨今です。
私は現在、船橋市の市議会議員として皆様の為に日夜走り回っておりますが、これも市船での学びが出発点と言っても過言ではありません。当時は、まだめずらしかったトレーナーの先生が体育科に在籍され、ケガの対処やトレーニング指導等を献身的にサポートしていただきました。その経験から進学した日本体育大学の器械体操部でも学生のトレーナー部門を立ち上げたり、その後も理学療法士の資格を取得し船橋整形外科に勤めるなど、常に周囲の人たちをサポートする事が私の使命と考え邁進してまいりました。
市船時代は、勉強だけでなく人々との交流やスポーツを通して周囲の人たちを如何にサポートするかなど多くのことを学び経験させて頂き、思い出はこの場ではご紹介しきれません。
自分がやるべきサポートに努力すること、それは確かに大変な事ですが、結果、達成感や充実感に満たされ楽しい事でもある事、その感覚を身につけさせていただいたことが、現在の市議会議員として頑張っていることに繋がっていると思っています。
私は「市船OBです!」と胸を張り言えるのは、そこに私の原点があるからです。
これからもOBとして朗らかに進んでまいります。

第34期生(平成5年3月卒業)G組 長尾 夕香里

長尾 夕香里画像

市船在学中に短期留学したアメリカのモロー高校で友達になったハイディさんの影響で、卒業後、彼女の通っていたカリフォルニア大学サンタバーバラ校に入学。大学を卒業してからはロサンゼルスで10年以上アパレル関係の仕事でセールス、カスタマーサービスを担当していた。その後、お兄さん一家やハイディさんがいるサンフランシスコ・ベイエリアに拠点を移し、キャリアチェンジにトライ!現在はシリコンバレーの会社に勤めています。2013年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんの設立したLED関連の会社で日本語・英語のバイリンガルスキルをいかしてアジア地域のカスタマーサービスを担当しています。

「当社のLEDがアジア諸国にどんどん広まるよう貢献したいと頑張っています。休日はハイディや仲間たちと食事をしたり、ハイキングに行ったり楽しく過ごしています。
フリーマーケットなどにも行きます。
ファッション業界にながいこといましたのでLA時代もよく顔を出していました。高校時を思い出すことも多いです。サッカーでプロになった方もいっぱいいますよね。
Jリーグの試合がこちらでは観られないのが残念です。」

1期生 家入正之

1期生 家入正之

母校は、戦後の混乱が落ち着いてきた昭和32年に、将来の船橋市を背負う市民の子女を育成する目的で創設され、早や60周年を迎えました。
私も1期生として3年間勉学に励みましたが、在学中は色々な行事に参加するだけでなく、クラス全員でグランドの石拾いなど、環境整備に汗を流した事が昨日のように懐かしく思い出されます。
卒業後はクラス会等を通じて広く先輩・後輩の交流を図っております。また、縁あって同窓会長を務めさせていただきました。
仕事は医療事務畑を一筋に、現在は千葉市中央区にあります「医療法人柏戸病院グループ」の「一般財団法人柏戸記念財団、医療事業本部」に勤務し、主に健康管理に対する意識を皆様に持って頂くために日々忙しく飛び回っております。
結びに、在校生の皆さんには建学の精神に乗っ取って勉強にスポーツに精励してください。同窓会員の皆さんには母校の発展を見守って頂きますようお願い申し上げます。